【ウズベキスタン】ブハラ近郊の日本人墓地(シベリア抑留犠牲者)への行き方
ウズベキスタン旅行でブハラを訪れる方に、是非足を運んで頂きたいのが、ブハラ駅近くにあるシベリア抑留犠牲者墓地です。
ウズベキスタンはソ連を構成していた国の一つであり、戦後にソ連によって捕虜として捕らえられたシベリア抑留者の中にはウズベキスタンに連れてこられ、強制労働させられた日本人が数千人いました。
タシュケントにあるナヴォイ・オペラ・バレエ劇場も日本人強制労働で建設したものでした。
ブハラの日本人墓地には200名ほどに犠牲者が眠っています。
アクセス
墓地はウズベキスタンの高速鉄道も停車するブハラ駅からタクシーで5分ほどの距離にあります。距離にして1km程なので歩いてもいけますが、駅舎などがある反対側なので線路を超える必要があったりして少し面倒です。
上の地図で緑色のピンの位置あたりです。
問題は、日本人墓地などと検索しても全くヒットしないことです。
地球の歩き方では紹介はされているものの、ダイヤモンド社も場所が知らないのか、ガイドブックに場所は載っていないのです。
仕方なく、ブログなどで調べて、あとはブハラ駅のタクシーのおじさんに「日本人墓地」(Городское центральное кладбище)と連呼。けど、地元のタクシーの人も聞いたことがなく、駅員など手あたり次第聞いて、もしかしたら駅裏の墓地か、という展開になりなんとかたどり着きました。
衛星写真でみると明らかに墓地なので分かります。
右端の赤で囲んでいる箇所が日本人墓地です。
墓地
墓地は道路の突き当りにあるので、そこでタクシーから降り、門をくぐりました。
中にはお墓の手入れをしている方がおり、すぐに「日本人か?」(ニッポニヤ?)と聞かれ、案内してもらいました。
平原の中に整然と横たわる石官がお墓です。
綺麗に手入れがされていましたが、日本にあるお墓と比べると質は低いです。
過酷な重労働に少ない食事。
栄養失調や病気で、たくさんの人が亡くなっています。
戦争が終わり、故郷に帰れるはずの人が不法にもソ連に抑留さえられ、強制労働させられた事実を決して忘れてはならないと改めて感じながら、手を合わせました。
隣にはドイツ人の墓地もありました(奥にある十字架)
鎮魂の碑と犠牲者の名前が刻まれた碑がありました。
日本から遠く離れたこの場所に、犠牲者の家族は訪れるのでしょうか、そもそも、ここに埋葬されていること知っているのでしょうか
墓石には番号しかふられておらず、石碑の名前の番号と照合しないとわかりません。
隣のウズベキスタン人の墓地よりは格段と整備はされていたものの、ちゃんと管理され、整備されることを願いながら、その地をあとにしました。
ちなみに、最後に案内してくれたおばちゃんに管理費という名のチップを求めるので、少しばかり渡しました。